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2010年9月20日 (月)

親すら頼れない悲しさ

【小6少女、日記に虐待「SOS」…蛍光ペンで印】

本日付の Yomiuri Online に以下のような記事が載っていた。

小6少女、日記に虐待「SOS」…蛍光ペンで印

栃木県那須塩原市の児童相談所で今月3日、保護された長女を連れ出すため侵入した父親が逮捕される事件があり、県警は父親が長女を虐待していた疑いが強まったとして、近く傷害容疑で再逮捕する方針を決めた。

 長女は父親から強制されて付けていた日記に、暴力を振るわれた日を示す印を蛍光ペンで記していた。県警は長女が残した「SOS」を重要な証拠と判断、虐待の立件にこぎ着けた。

 捜査関係者によると、同県さくら市の無職の男(31)(建造物侵入容疑で逮捕)は8月下旬、自宅で妻の連れ子だった小学6年の長女(12)の顔を殴るなどし、約2週間のけがをさせた疑いが持たれている。

 長女は捜査員に対し、父親から日記を書くよう強制されていたことを明かした。学校の出来事などがつづられているが、「お父さん大好きです」「素直になります」などと書くことを強要され、毎日、内容をチェックされていた。

 長女は6月上旬頃から、父親に顔を殴られたり、足をつかまれ体を引きずられたりする暴行を日常的に受けていた。暴行を受けた日の日記の片隅に、長女は気付かれないよう蛍光ペンで小さく印を付けていたが、その数は週2、3回あった。

 一方、長女が通う学校の教諭は、長女の顔や腕などにアザがあることを不審に思い、真新しいアザなどを見つけた日を手帳に記録。日記の印の日付と大半が一致しているという。

 父親は当初、虐待を否定していたが、「むしゃくしゃして娘を殴った。暴力がばれるとまずいと思った」などと供述しているという。

 ある捜査関係者は「密室で行われる虐待は事実関係の裏付けが難しい。少女のSOSと学校教諭の機転が生かされた」と話す。県警は、虐待に至った経緯について父親を追及する方針。

(2010年9月20日03時03分 読売新聞)

【親の大事さ】

このような記事を見るたび、心が痛ましくなる。人間の健全な人格形成において、「最終的に頼れる存在」がどれほど大切なことか。人間の精神力は他の動物に比べ並はずれているため、どんなに挫折しても逆境に陥っても、拠り所さえあれば立ち直ることができる。

その「拠り所」がまさに「親」という存在である。子供がどんなに悪ガキであろうとも、自分の思い通りに育ってくれなくても、自分の子供が決定的なピンチに陥った時、自分を投げ出してもわが子を救う。普通親とはそんな存在である。子供は無意識かもしれないが、そのような親の存在、つまり最終防衛ラインを感じて、健全に育つ。

その親が自分の子供を虐待するというのは、その子供にとってどれほど精神的暗澹さをもたらすことか。本来、最終的に手を差し伸べてくれるべき存在の親に頼れないばかりか、正にその親から手ひどい仕打ちをうける。これは子供の精神を十分破壊するに足る仕打ちである。

【悲しい世代】

先日も、大阪西区のホステスが若くして子供を産んだが、遊び足りなさゆえ、子供をマンションに閉じ込めて餓死させたという事件があった。死ぬ直前まで子どもたちは「ママ、ママ」と、その鬼のような母親を頼って叫び続けていたという。まさに信じられない事件である。

何がこのような信じられない親を生成するのだろう。教育か環境か。はたまた血筋か。ともかく、責任感や道義、モラルという面において、日本人は退化しているような気がしてならない。

世代という大くくりで捉えるのはいささか乱暴かもしれないが、現在の子育て世代のなかには、信じられない行動をする親が増えてきたという印象を受ける。

【解決策】

解決策はあるのだろうか。正直なところ、一人の人間が変わるのではなく、世代としての人間が変わるのには長い年月がかかる。

仮説だが、このような現象と、「失われた20年」と言われるバブル崩壊後の日本の景気の低迷とは、関係があるのではないだろうか。上記のホステスににしても、現在20代の世代は、日本が経済大国から没落してゆく期間を生きてきている世代であり、頑張れば良くなるとかいう精神論に対する無力感を肌で感じている世代ではないだろうか。

つまり、「最近の子育て世代は」という世代自体に問題があるわけではなく、希望が持てず、他者を労わる姿勢を見せてこなかったここ20年の日本社会自体に問題があったのではなかろうかと思えてくる。

人間、希望があれば、大抵の逆境や苦痛には耐えられる。他人にも優しくなれる。ところが希望が見えないと、短絡的、即物的、利己的になったりしがちである。

そのように考えると、日本の人々を良くするためには、日本自体が良くなり、希望が持てる国になるというのが、時間はかかるが最も効果的な解決策ではないかと思うのである。

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